勉強することは学歴主義ではない

あけましておめでとうございます。

新年を迎えてみなさんいかがお過ごしでしょうか。年末年始は地元に帰っていまして、そこで小学校の友人と会ったりしていました。小学生の頃とあんまりみんな変わっていないな、というのが第一印象でした。

僕は人口減少に悩む地方都市出身なのですが、やっぱり田舎は田舎。隣の県庁所在地の都市に私立中学に通っていた僕にとっては、寂れた田舎という印象でした。やっぱり、そこで暮らしている友人も田舎っぺで、会った時は公には話せないような小学生時代の悪事の話ばかりとなっていました。地元の友人は本当に小学生の頃とほとんど変わらないまま大人になっているのでした。

その時に、転勤族だった友人も一緒にいたのです。彼は小学生の途中で転勤してしまって、県庁所在地のある都市に移り住みました。彼の動向は誰も知らなかったのですが、最近facebookで連絡を取ることになり、みんなと一緒に会うこととなりました。

彼もまた私立中学に通っていたそうなのですが、彼はその話ばかりする。あそこを受験しようと思っていたとか、あそこを受けておけば良かったとか。僕はまだ、中学受験を経験していたので話についていけるのですが、他の友人たちはぽかん状態。仕事の話は全く出てきませんでした。

彼にとっては中学受験を突破したことが人生のハイライトだったみたいです。他の地元のみんなはしっかりと自分の仕事を持っていて日々を楽しんでいるように思えました。一人だけ勝手に自慢大会と勘違いして、さらに過去の栄光?を話始めたのには、とても気の毒に感じました。彼は今後、このような集まりがあった時に呼ばれるのでしょうか。

新年早々から不快な記事ですが、どうしても気になってしまったので書き記しておきます。

確かに学生時代は勉強をすることが大切で、その結果としての学歴は重要だと思います。しかし、一歩社会に踏み出せば、そこは別の話。魅力的な人間かどうかでしか、今後の関係を続ける指標にはならないですよね。学歴は高くても低くても、鼻に付く事が多いので、自分と同じ大学出身者以外とは話題にしない方が懸命ですね。

きっと、ここでは勉強勉強と、しつこいくらいに勉強の話をしていくので、どうしても学歴偏重な人物と思われてしまいがちだと思いますが、私は決してそんなことは考えておりません。学歴主義のような、なんとか主義というのは思考を停止させるための命令系統なので好きではありません

そもそも、私が勉強と言ってるのは、受験勉強やテスト勉強のような、いわゆる座学ではなく、仕事を行う上で学ばなければいけないことを実は主眼にしているのです。その練習のための学校の勉強ですからね。

誰かが学歴主義のような、偏った考えを勝手に持たれていても私は構いませんが、どうぞ私の前では話して欲しくないものです。その考えを押し付けるようなことも迷惑に他なりません。

最終的に人生は楽しんだ者が勝ちだと思います。そのための道具として勉強を上手く使っていけたらいいですね。

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