24時間テレビの偽善に対する疑問

こんばんは

先日、日本テレビ系列の24時間テレビを見る機会がありました。元より日テレをずっとテレビに付けっ放しにして、裏の番組はブルーレイレコーダーで見るという生粋の日テレ派の僕ですが、今回もその流れでだらだらと24時間テレビを見てしまいました。

まず、見始める前にネット上で騒がれていた事として

  • チャリティ番組にも関わらず、みやぞんを含め出演者は高額なギャラをもらっている
  • 番組に出演している一般素人の方はノーギャラ
  • 海外での感動ポルノ批判を受けて、番組そのものに対する懐疑的な意見
  • 過去のマラソンでの不正疑惑

などが話題になっていた印象があります。ほとんど好意的な意見を目にする事がなかったのは気のせいでしょうかね。みんながみんな一方的に批判的な意見ばかりで染まってしまうと、逆に疑ってしまうアマノジャクな自分がいます。

基本的に一般大衆が集まって一斉に同じ事を言っている時は、どうも胡散臭く感じてしまいます。最初に言い始めた人こそ物の本質を理解しているかもしれません。しかし、後から集まって来た人たちの中には、よく理解しないまま鵜呑みにして、自分の意見がさも正しいような気分になっているだけの人がかなりの数いるような気がしてなりません。

  • チャリティ番組にも関わらず、みやぞんを含め出演者は高額なギャラをもらっている

そもそも、24時間テレビはチャリティ番組なんですかね?通常ならテレビ会社が利益のためだけに使っている電波、資源を使って、本当の意味でのチャリティ番組を作る気は最初からない気がします。社員は24時間テレビ放映日までに無給で働く必要があるのでしょうか?チャリティによって会社としての利益が減る事は最初から想定していないと思います。募金をテレビ会社がおさめる事だけが目的なら、普段の営業の利益の中から余裕のあるお金だけ募金すれば良いのではないでしょうか?最初から日テレは募金を集める事が主目的で24時間テレビを作ってはいないと思います。

通常の業務をお祭りのような形で盛り上げて、宣伝効果を上げるという手法を取っているだけだと思います。なので、通常業務通り広告会社から提供を募って、芸能プロダクションに人員のオファーを出してるだけだと思います。まぁ、お祭り騒ぎで普段より視聴率は良いですから、ギャラは高くなりますよね。普通の事です。

海外でのチャリティ番組では出演者はみなノーギャラという話があります。日本人でも大物芸能人達がギャラが出る事を理由に出演を拒否したとのエピソードが美談として取り上げられています。

まず大事な事として、ノーギャラで出演したという人は今回のYOSHIKI以外聞いた事がありません。YOSHIKIくらい事務所などのしがらみがなく自由な人なら可能だと思います。ただ、普通の芸能事務所だと稼ぎ頭が稼ぐギャラが、売れていない所属芸能人を含め事務方の給料にも分配される事になります。金持ちの芸能人がギャラを受け取らないということは、その周囲の人々にもギャラが発生しない事になるのです。そこまで事務所全体がチャリティに賛成ならば可能でしょうが、もし、自分の会社が突然、給料を勝手に募金し始めたら会社内で暴動が起きる事は容易に想像できます。YOSHIKIは多分、ワンマン事務所だから可能なんでしょう笑。日本の大きな芸能プロダクションがノーギャラで出演を承諾するとは到底思えません。

海外も同じようなシステムで事務所全体が納得してやっているのでしょうか?もし、そうなら福祉意識に格別の違いがあるんだと思います。使うあてもない巨額の富を手にした海外の芸能人がふらっとチャリティに無償で来るのは格好良いと思います。ただ、同じ事を大した資産も持っていない人に強いるのは酷ではないでしょうか。今が稼ぐ唯一の時期かもしれないのです。無償でやる余裕はあるのでしょうか。同じように、日本の大物芸能人が威勢の良い事を言っていても、実現できてないのであんまり参考にならないと思います。

高額ギャラに一般人がビックリして全額寄付しろと吠えるのはあんまりにも見苦しいと思います。同じ事、自分が言われたら嫌だと思いますよ。芸能人だってみんな事務所に与えられた仕事やっているだけで、拒否なんてできるわけなく、自分の意見なんて持つ事できないんですから。会社に言われた通り働いて、後からチャリティでしたって言われたら、絶対にブチ切れますよ。

  • 番組に出演している一般素人の方はノーギャラ

これも問題視されているみたいですね。一般的に芸能界のルールで一般人として芸能事務所を通さずに出演した場合、ギャラはかなり低く抑えられてしまうみたいです。今回のノーギャラはそれとはまた違ったニュアンスで、一般人のインタビュー、ドキュメンタリーを撮っている時のような扱いみたいですね。所詮、相手は一般人で、テレビに出演したい人はごまんといるため、ギャラを払わなくても人員に困る事がないんでしょうね。

テレビに出たい人がテレビに出る。別にこれが問題となる事はないと思います。はたから見たら一般人が酷い扱いをされているように感じるような人がいるみたいですが、それはお節介だと思います。みんな出たくて出たくてテレビに出るんです。ギャラのために出るのではありません。それは24時間テレビを見ていても感じました。彼らはテレビが好きで、自分が注目される事を心から喜んでいるように映りました。

嫌々テレビに出てる人なんていないのですから、横から騙されてるとか、見世物にされているとかは言わない方が良いと思います。そういう風に決めつける事で彼らの事をバカにしているのではないか、とさえ思います。

逆に高額なギャラが出ていたとすると、本当は出たくないのにお金のために出演する素人がかなり増加すると思います。そんなの見ていて気持ち良いわけないですよね。ノーギャラだという事で、親に売られたわけでもなく、自分の意志で出演を決めているという事を再確認できて安心します。

  • 海外での感動ポルノ批判を受けて、番組そのものに対する懐疑的な意見

海外の素晴らしいチャリティ番組と、日テレの24時間を同じように考えない方が良いと思います。最初から24時間テレビは、素晴らしいチャリティ番組を目指していないと思います。日テレを含め、日本のテレビ会社を買い被らない方が良いと思います。

海外の本気のチャリティ番組と比べるなんておこがましいのです。最初から、そこに追いつくつもりも、何もありません。海外のセレブに馬鹿にされようが構わないのです。

24時間テレビがただの感動ポルノというのはどうなんでしょうか?僕は少なくとも24時間テレビを見て感動はしませんでした。特に感情を揺さぶられる事もなく見ていました。確かに、あの番組を見て感動?していしまう人がいるのかもしれません。何に感動しているのでしょうか?

あんな番組構成で感動してしまう「個人の感情の単純さ」「影響のされやすさ」が問題だと思います。日本人はみんな厳しくムチを打たれた後にアメをもらったらホイホイその人の事を好きになるんですかね?最初からめっちゃ感動させようと?しているのに、しっかり感動してしまう人がおかしいのです。感動ってそんな予定調和ではないと思います。予想もしなかった驚きがあって初めて人は感動すると思います。

毎年の恒例行事で感動している人は感情豊かな人なのかもしれませんが、そういう人のせいで感動ポルノという言葉が生まれてしまったんだと思います。子供達が頑張って何かに挑戦して達成したのを見ていて気分は良かったです。ただそれくらいの気持ちでいられないのでしょうか?自分の子供でもないのに、あれを見ていて感動している人がいたら、それは反省した方が良いと思います。そんなにすごい事はやっていないし、感動は絶対にしないレベルだと思います。感動ポルノうんぬんは勝手に感動してる奴が悪いわけで、テレビ側が本気で感動させようと意図しているかは疑問です。出演者が泣いたりしているのも本気かどうかわからないから怖いですよね。

  • 過去のマラソンでの不正疑惑

こういうのしつこく言う人がいますが真面目で正義感の強いメンドくさい人なんだと思います。昔、手塚治虫宛に手紙でブラックジャックの描写が間違っていると指摘した東大生がいたらしいです。素晴らしい、優秀ですね!よく気が付きました!

それに対して手塚治虫は

「漫画なんだからそんなの当たり前だろ。何言ってんだ?東大生にもなって、そんな事も知らないで恥ずかしくないの?」

みたいなニュアンスで返したらしいです。詳しくは覚えていません。

みんな真面目すぎるのです。何を期待しているんでしょうか?

テレビだって同じです。ただのエンターテイメントです。最近になってコンプライアンスうんぬんを出演者がふざけて話のネタにしていますが、そもそもテキトーなメディアなのです。間違った事をテレビで流してはいけないなら、某アイドルが彼氏がいないと発言するのも放送してはいけないし、もちろん心霊番組もダメ。本当に厳しい事言ったら、恐竜が出てくる映画なんて放送しちゃダメでしょう。生中継と勘違いして暴動が起きたらどうする?

結局、テレビは面白かったら、それで良いんです。後で笑い話になれば儲けもの。そんなに真面目な事はやってないんですよ。真面目そうなニュース番組だって、どうでも良い政治家の疑惑を追い続け、刑事犯罪の被害者の顔写真と本名、家族のインタビューを報道しているんです。真面目な顔して変な事をし続けているメディアなんだから、24時間マラソンでロケバス移動してても良いんじゃないですかね。チャリティー風番組なんです。雰囲気が大事です。ただ、根掘り葉掘り聞いてはだめ。ボロが出てすぐバレちゃうから。

そんなに期待しない事です。

「毎年、夏に、日本では24時間走り続ける若者の奴隷を決めなければならない」

「それにどんな意味が?」

「みんなで感動したって事にするらしいよ」

「周りは感情の奴隷になるのか」