朝日新聞「少子化対策」の穴を読んで

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最近読んだ記事に30代の私は感じ入るものがあったので共有したい。

異次元の少子化対策、間違いなく現在の日本に必要な政策の一つである。菅義偉前総理大臣の頃から不妊治療への補助が始まり、世間ではあまり知られていないのが残念だが、前政権の肝入り政策であったようだ。岸田文雄現総理大臣は一般的に良いと言われていることはやろうとするタイプの人間と思われ、思想も何もあったものではないが、社会としては少しずつ住みやすくなっていくのだと思い期待している。さて、「異次元の少子化対策」として日本が前に踏み出そうとしている中で、それに取り残されていると感じている人々の声もあるようだ。リベラルとしてそのような人々の声は絶対に拾うべきであるが、一方であれもこれもと不満を述べるだけに留まってはいけない。この「少子化対策」という分野が個人の結婚などに絡んでいる以上、人それぞれの家庭の事情、個人的な病などが関連するため、とてもセンシティブな内容なのだ。そのため、一概に全ての人に対応する方法などは存在しないという事を改めて認識させられる。

社会政策として全ての人を等しく救う法律など存在する訳はなく、概ねの政策対象として優遇を受ける者、税金の負担という点で間接的に不遇を受ける者、それは必ず出てきてしまう。今では当たり前になっている国民皆保険の個人負担額に関して、高齢者ほど負担金が少なくなる制度も根拠はないはずだ。財源があれば労働人口の医療費も一律一割負担にするべきであるが、財源を確保するような動きが生じたこともない。高齢者の医療費は少し古いデータではあるが65歳以上がそれ以下の年代全て合算したものより多いという事実もある(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/08/kekka5.html)。一人当たりの負担額でみても4倍超の額である。これは単純に感情論として「お年寄りは稼ぎがないからかわいそう」「いずれ自分たちが年をとった時に優遇されるだろう」というものに支持されたものだろう。また選挙の際に利益を受けることが多い層に政策が傾いた結果だろう。これは民主主義では仕方がない。話はそれたが、一つの政策をとっても優遇を受ける業種、人があれば間接的に不遇になってしまう人は必ず出てきてしまうのは共通認識として持っていたいものだ。自分が優遇されている時は口をつぐみ、気に障る政策が出てきて文句を言うのは人の性として仕方がないのかもしれないが、あまり自分としてはやりたくない姿勢である。

朝日新聞のこの記事に関して、冒頭30代の女性が20代後半を回想したエピソードが紹介される。

同じ職場の若い女性が育休に入った時、男性の上司に言われた。

 「○○さんは、いつお母さんになるんだろうね」

朝日新聞デジタル連載 子どもがいないとダメですか?「異次元の少子化対策」の陰で 第1回https://www.asahi.com/articles/ASR3Y7TM2R2XUTIL03X.html

○○さんというのはこの女性の事であり、この発言の後、大変動揺したようである。10年近く前ではきっと職場でもこの手の会話が普通に交わされていたのだろうと思う。昨今では価値観の多様化、不妊症の知識の普及により、「この手の発言」はかなり否定的に受け止められるはずだ。ここ10年程度で日本はやはり多様化した社会への姿勢はかなり前に進んでいると思う。もちろん、個別の事例ではこのような発言が許容されている社会もあるかもしれないが、その社会が異常というだけで共通認識としては「言ってはいけないもの」としては確立されているはずだ。

結婚も出産も別にしたくないわけじゃない。「子どもがもてないかもしれない」という不安がある一方で、「結婚や出産だけが幸せではない」という思いも強くなっていた。

朝日新聞デジタル連載 子どもがいないとダメですか?「異次元の少子化対策」の陰で 第1回https://www.asahi.com/articles/ASR3Y7TM2R2XUTIL03X.html

女性の社会進出、価値観の多様化に伴い、この女性の様に「結婚して出産が人生のゴールではない」と考える方は男女問わず現在は一般化していると思う。そうした思いの中で冒頭の発言を浴びせられて動揺したという事だ。これは大変辛いエピソードとして共感できる。現在を生きる男性の1人としてそう思う。過去の社会の価値観の中で不当な扱いを受けていた人々が存在するのは事実だと思う。

さて、冒頭の女性だがこの後、婦人科疾患による手術を受けで将来的な妊娠が危ぶまれる状況になったという。上記に書いた通り個人的な病はやはり人生において大きなイベントとなる。大事な事として、病はいつ起きるかわからないのだ。そのため病にかかってしまうと、人生設計の改変を余儀なくされることもある。病に関しては、これは本人を含め誰のせいでもなく、自然の摂理として仕方がないものと考える他ない。

「わたし、子どもを持たないって覚悟、まだできてないのに……」

 診療室を出た瞬間、泣き崩れた。

朝日新聞デジタル連載 子どもがいないとダメですか?「異次元の少子化対策」の陰で 第1回https://www.asahi.com/articles/ASR3Y7TM2R2XUTIL03X.html

診断を受けた後に女性はこう思うのだった。とても重要なこととして「結婚がすべてではない」と考えていたことと今回の思慮は何も矛盾するものではないということだ。いつかの時点を境に絶対に妊娠しないと心に決める女性など多分いないだろう。価値観というのは人生のイベントによっては大きく変わりうるし、そもそも自分の価値観を紙に書いて保存しておく人間などほとんどいる訳がないので過去の自分の価値観などと照らし合わせることもできない。それくらい価値観というのはうつろいやすいものだ。

本当に子どもが欲しいのか――。自問自答を繰り返し、自分の気持ちと向き合った。

 「子どもはいらないかもしれない」と言いながら、「子どもはいらない」と言い切れないこと。子どもを欲しいという気持ちを捨てられない。それが結論だった。

朝日新聞デジタル連載 子どもがいないとダメですか?「異次元の少子化対策」の陰で 第1回https://www.asahi.com/articles/ASR3Y7TM2R2XUTIL03X.html

さて、うつろいやすい価値観に揺られて、将来という不確定なものに思いを馳せるとやはり結論はそうなるだろう。その後、女性が取った行動としては卵子凍結であった。2回の採卵に70万円以上かかったと書かれているが、交通費が含まれているということだ。採取した卵子の保管料に年22万円かかるという。2023年度から東京都ではこの卵子凍結に補助が出るとのことだ。

本当に必要な少子化対策とは何か。

 「『子どもを産め』というプレッシャーをかけることではなく、子どもを欲しいと思う人の心に寄り添い、必要な支援を届けることではないか」

朝日新聞デジタル連載 子どもがいないとダメですか?「異次元の少子化対策」の陰で 第1回https://www.asahi.com/articles/ASR3Y7TM2R2XUTIL03X.html

さて、この文章でこの記事が終わるのだが、これが全く腑に落ちない。もちろん文章の内容は正しいと思う。必要な支援というのは具体的に何を意味しているのか。この卵子凍結の費用を国にも補助するべきということだろうか。具体的な問題点がわからないまま批判的な言動を繰り出すとこのような結果になりやすい。何となく嫌な気持ちがするから批判を始めるというのは大きな間違いだと思う。個人個人に対して子どもを産めと国が強要するはずもないし、国が個人の心に寄り添うことなど数千年の歴史、世界であった試しはない。

「国が個人の心に寄り添う」など基本的にありえないし、期待してもいけない。「人命は地球より重い」なんて言葉を時の1977年首相福田赳夫が言うものだから、勘違いした人間が多数生じてしまう訳である。その4年後1981年には北海道夕張市の北炭夕張新鉱で火災事故が生じ、それを鎮火するために生きているかもしれない炭鉱従事者のことなどはかえりみずに炭鉱を水没させるという強硬策を行っている。後方視的に見るとこのような処置も致し方ないことは十分わかる。しかし、この時代を生きている人々はこの矛盾にどうして言及しないのだろうか。無論、1977年時点で時の首相がリップサービスを行ったとしても、その言葉が無意味である事は国民全員がわかっていて言及しなかっただけかもしれないが。少なくとも公害など、社会的な責任を負うべき主体が明らかではない限り、処罰をするべき対象が明らかではない議論を行っても誰も得はしないと思う。後は利権の取り合いであって社会全体の利益にはなりえない。処罰するべき対象が明らかではないという事は、つまり追及しても仕方がないという事だ。2011年の津波に関しても誰も想定していなかった訳で、想定していたらそもそもその土地に住んでいない訳で、原子力発電所を建てていないのである。誰も予想していない事は世界ではやはり起こる訳で、それに関して責任をどこかに追及してもキリはないと思う。

話は逸れたがまずこの問題で私が強調したいことはまず第一に「子供を産むか産まないかは個人の自由」であることだ。国に産まされるなんてことは起きないと思うが、国が「少子化対策」をしているのは人口減による経済的な影響などを加味して、国が将来的な利益を得るためである。国がいくら「少子化対策」をしても産みたくない人は産まなくて良いのである。もちろんこの文章の通り、子供を産む様にプレッシャーをかける社会は間違っていると繰り返すようだが言っておく。他人の人生は他人のものである。

次に疑問に思うのが、この女性の最終的な希望(自分がやりたいこと)についてである。結婚することが希望なのか、子どもを産むことが希望なのか、両方なのか、それとも違うのか。これが記事では全くわからない。多分、本人もわかっていないと思う。さして重要ではないこととして省かれたか、まだ決めきれていないのか。問題点がわからなければ解決法も見出せないのは必然である。

戦後の日本では結婚して出産というのが一般化したのかもしれないが、これを一般的だと考えるのはそれこそ価値観の押し付けだと思う。戦前は私生児はたくさんいた訳だし、不妊症などが原因で結婚しても子どもができない家庭、そもそも挙児希望がない家庭もある。漠然とサザエさん一家を理想的な家族と評するのは既に時代遅れだと思う。それぞれの家庭の事情があって、それぞれの価値観があって、理想も何も関係ない、それで良いのではないか。個人で勝手に理想だと思うのは自由だが。

現在、インターネットの発達や医学や、企業の支援などで結婚、出産のどちらも歴史上最も援助を受けれる時代であることも事実だ。

この女性がもし結婚の希望があるようであればまずその分野での努力、支援が必要だろう。それは国が行う「少子化対策」ではないと思う。個人の結婚の希望を国が支援するというのは全く理解できない。国営の結婚相談所を作る方法はあるとは思うが、そんなもの誰も望んでいないだろう。仮に結婚相手が見つかったとしても、相手が出産を望まない、もしくは不妊症という可能性もありうる。結婚イコール出産なんてのは遠い過去の価値観だ。そのことも念頭に置いておかなければいけない。

さて、この女性が子どもを産むことだけが目標であった場合、それも答えは明白である。現在、精子提供を行なっている企業も複数あるという。自分1人でどうしても出産したいのであればそのような方法を選べば可能なはずだ。年22万円の維持費と比較してどちらが安価かは比較するべきだと思う。もちろん子どもを産んだ場合は、国の子育て支援を受ける事ができる。

他に言及するべきは卵子凍結は少子化対策の完全な対応策ではないことだ。結局、出産を行うにあたり日本では代理出産は不可能であるため、自身の身体で出産しなければいけない。35歳以降の出産であればもちろん高齢出産となり、流産、死産などの可能性も高くなる。病院にもよるが年齢上限を設定して、それ以降は卵子凍結を行わない病院もあるようだ。卵子凍結をしたからといって、子どもを産める確証は得られず、結局は産めないという事態も十分に想定しておかなければいけない。その場合、維持費などは全て水泡に帰すこともだ。卵子凍結は晩婚化に対して解決策の1つとなりうるが、それを行なったとしても完全な対策にはならない。結局は人の身体に対する医療である以上、どこかで限界はあるのである。そもそも卵子凍結など技術的、コスト的に不可能な時代には、諦める他なかった訳で現代の医学の進歩に脱帽するばかりである。ちなみに日本産科婦人科学会の声明(2015年発行)では健康な女性の卵子凍結は推奨しないとされている。

日本産科婦人科学会 生殖・内分泌委員会 平成26年度の委員会報告(日産婦誌67巻6号1497-1498)(この論拠となる文献はgoogleで検索してもなかなか出てこなかった。これらの記載を行っているサイトは新聞社のサイトも含めて複数あるが出典元をしっかりと示すべきと思う。おそらく又聞きで記事を書いているのではないか。裏を取るのは取材の基本中の基本だと思うが。)

卵子採取にもリスク、凍結卵子による妊娠可能性が限定的である事、高齢出産による子どもの医学的リスクなどがその根拠にある。この記事にある女性は婦人科疾患があり卵子凍結を提案されたのかもしれないが、個別の症例に関しては詳細はわからないため言及はしない。精子も含めた胚細胞の凍結保存は若年者の抗がん剤治療前に提案される事が一般的だ。抗がん剤治療により精子数等の影響が生じ、治療後もその影響で不妊症となる可能性は広く知られているためだ。

東京都が行っている支援というのも200-300人程度に一人30万円を支援するというものだ。これは婚姻の有無や年齢の制限はないとの事であった。そもそも学会が推奨していないものに税金を使うという事に疑問を感じるが、東京都の人口で年に数百人の補助をしたところで少子化対策になっているとは到底思えない。2021年の東京都の出生数は95000人程度であり、これに数百人増えたところで誤差の範囲である。10年やって2000人出生率が増えるかと思うかもしれないが、そう簡単な話ではない事は上記の通り明らかである。やるなら無制限に補助をするか、やらないのであれば将来の不安を感じている人には学会が推奨していない医療行為であることをしっかりとアナウンスするべきだと思う。選挙に向けた少子化対策を行っているというポーズをとっただけの政策である事は間違いないと思う。そのため、この政策にあまり言及しても意味がないと思うのでこれくらいにはしておく。上記の通り「医学的適応のある」方の卵子凍結はしっかりと東京都でも補助は受けられる(https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/iryo_hoken/gan_portal/chiryou/seishoku/josei.html)。

将来の結婚など、人生について漠然と考えると不安になるのは仕方がない。相手がいないなら想像もできない訳で不安になるのも当然である。気をつけなければいけないのはそのような不安につけ込む業者が世間には多数はびこっているということだ。そもそも価値観があったり、自分と結婚しそうな人間を見つける事なんてそう容易いものではない。逆に自分のお眼鏡に叶わない人は無意識的に結婚相手から除外しているのが普通だと思う。好かない人間と結婚したい人間なんていない。しかし自分が理想とする人間なんてのも存在する訳はなく、人はそれぞれ相手に合わせて行動、考える生き物なので、一緒に生活していく内に何でも慣れてしまうというのも実情だと思う。

「自分にあった人が見つかれば結婚。その時にたまたま出産適齢期で、子どもが産めた。」

これくらいの価値観が一番良いのではないだろうか。出産適齢期までに結婚しなければいけない、子どもを産むために卵子凍結しなければいけない、こんな強迫観念があることが根本的な問題だと思う。人生で「しなければいけない」ことなんて存在しない訳で、「自分がしたいこと」があるならばしっかり自分で努力するべきで他人のせいにしてはいけない。ただそれだけじゃないだろうか。主語が曖昧な日本語だからこそ生じてしまう現象で、自分の気持ちすら他人のせいにできてしまうのは日本語の大きな欠点だろう。

国が他の人を支援しても、それに目くじらをたてても仕方がない。自分がいつか支援の対象になったら、その恩恵を享受する。それで十分だと思う。ただ、このような一人一人の声は聞こうとしなければ聞けないし、文字にしなければ人には伝わらない。引き続き朝日新聞にはこのような特集を組み続けて頂きたい。

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